純ドメ社会人が10年かけてTOEIC955点を取った道のり

トーイックのスコア,点数を表したグラフ,11年で955点 TOEIC420点からの英語学習
異動や駐在などのイベントとTOEIC点数の推移
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英語学習のモチベーションが維持できない、周りと比べて成長が遅いと感じる人に向けて、英語習得に10年かけた自身の経験を文章にしました。誰かの目に留まり、励ましができたらと考えた結果です。

エッセイ色が強い記事なので「手っ取り早く使った教材やスクールだけ知りたい」という方は以下の記事をご覧ください。2対で1つの記事です。

TOEIC400→900点台への勉強に使った教材とスクール一覧
いつかは海外で働きたいと夢見た学生が、社会人になり10年かかってTOEIC900点オーバーを達成しました。人より遅いかもしれませんが、実際に使った教材を紹介します。 教材もスクールも性格や環境によって合う合わないがあるから、英語学習の...

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へらじかのTOEICスコアの変遷

はじめてTOEICを受験したのが学生時代の2007年。当時の大学生平均が430か440点で、それを若干下回る点数からのスタート。

それから10年、走ったり歩いたり止まったりしながら、結果的に955点にたどり着いた。もがきながら試行錯誤をしながらの言語習得の様子を書き残す。

TOEICスコアの伸び,成長記録,伸び悩み,

2007~2018年のへらじかのTOEICスコアの推移

海外への目覚めは就職活動中

当時ブームだった洋楽には興味がなく、歴史は日本史選択、外国というものに全く縁がなく生きてきた自分が初めて海外を意識したのは就職活動中。

まったくもって気づくのが遅いのだけれど、どうやら日系企業でもこれからはグローバルだと、英語は必須だという風潮がすでに始まっていたことを、いわゆる企業研究をする中でぼんやりと世界を意識し、いつしかあこがれを持つようになった。

背景には伯父が昔アメリカに駐在していたのが強く影響していたように思う。気難しかった父と比べて伯父は同じ血を分けたとは思えないほどのびやかで穏やかな人に見えていて、自分も仕事で世界に出たら彼のようになれるんじゃないか、何かが変わるんじゃないかという漠然とした目標ができた。

 

就職活動をしていた当時は売り手市場と言われ、1人の学生が複数の内定をもらってから比べることが往々にしてあった。幸い自分も複数社から内定をもらい、最終的に現職を選ぶのだけれど、エントリーシートの希望職種欄には厚かましくも「海外営業」と書いた。

TOEIC420点なのに、だ。

同じシートにはTOEICの点数を記載する欄もあったが、受けていないことにして空欄のままにした。当時は学生だと、TOEIC受験経験なしというのもギリギリ認められた時代だった。

 

就職活動というイベントを経て何となく海外人材になりたいと考え始め、でも総合商社や外資系を選ぶほど英語や海外に傾倒していたわけでもなく、そのままぼんやりとした夢を抱えて就職した。

ひとつだけ英語でがんばった事といえば、ニュージーランドへの1ヶ月間のホームステイ。バイト代を貯めて就職直前の12月にグリーンクリスマスを経験しにいった。

 

「カッコつけ」の英語学習と出向中の決心

入社してからの数年間も国内の営業/企画部門で働きながら、いつかは海外を相手に働きたいという漠然とした夢を夢のまま持っていた。しかし特段の努力はせず、年1回行われる上司とのキャリア面談では「海外希望」と言い続けながら、その実あまり本気で英語の勉強はしていなかった。

 

たまたま仲の良かった同期の上司が海外駐在経験者だったので、朝や昼にNHKラジオ英会話のテキストを使って英語を教えてもらっていたけれど、いま振り返ると、正直なところ「カッコつけ」で勉強していたように思う。具体的に行きたい国や地域も、そこでやりたい仕事もわからず、毎年のキャリア面談のためにでっち上げていた。

楽天が社内公用語を英語にしたのもこの時期。なんとなく世間がグローバルに向かう中で雰囲気に身を任せ、形だけの英語学習を続けることが「海外を目指す若手」としての自己を形作っていた。

 

大きな心境の変化があったのは2011年。新卒で配属された部門から異動、というか出向して子会社にいた時に東日本の震災があった。

東京都心のオフィスにいて、幸いけがも何もなかったけれど、自分がいたところから十数メートル隣の部門ではビルの天井パネルが落下して製品に直撃、破損するという事故が起きていた。

 

ニュースで流れる映像を見ながら、人間一瞬先はわからないなあとしみじみ考えた。そうしていると、カッコつけのために「いつかは海外」と言い続けていた自分が滑稽に思えてきた。

 

お前の言う「いつか」って、いつだよ、と。

 

出向中だったこともあり、普段の働きぶりなんて本社からは見えづらいもの。では見えやすいものは何だと考えると、数字だろうと思いつく。

数字で結果が見えやすいTOEICで努力を示す以外に、本社に戻って海外の仕事をする早道は無いと一念発起し、腹を据えて勉強を開始した。

 

とはいえ受験以来英語から離れていたので長続きせず、一人で勉強していても早々に飽きが来た。でも英会話スクールで会話がまともに成立するレベルでもないので高額な学費を払いたくもない。

そこで活用したのが、大学が主催する社会人向けの英会話講座。ベルリッツなどのメジャーな会社の講師を呼んでいるにもかかわらず、大学の講座なので格安でグループレッスンが受けられた。都内にキャンパスがある大学で毎週19時過ぎからレッスンを受けた。

 

「カッコつけ」だとしても毎年のキャリア面談で海外志向を伝えていたので、幸い上司の理解も得られ、木曜日は基本的に残業しない日にしてもらった。(それでも全10回のうち3回は緊急対応で残業せざるを得なかった)

この社会人向け講座が英語力の成長につながったかどうかは別として、モチベーション維持に効果はあった。一時的にともに勉強する仲間ができたこと、ネイティブの講師に耳と発音を鍛えてもらったこと、週次で勉強するペースが作れたこと、などなど。

数万円のコストでこれらが得られたと思うと、費用対効果は抜群に良かった。

この頃、TOEICの点数は700を超えた。

 

海外マーケ部門への配属と自信

毎年の希望を伝え続けたおかげか、TOEICで700点を超えたからか、出向が終わり本社の海外マーケ部門に異動した。当時の部長からは、英語の基礎はあるだろうから即戦力として云々と言われたのでおそらく後者、TOEICの点数がそれなりに効いたのだろうと思う。

 

TOEICの点数がいわゆる「錯覚資産」として強い理由はマネージャにとっての「言い訳」にしやすいからだと思っている。

人を採るマネジメント側からしてもTOEICでそれなりの点を持つ若手を起用しておけば理由の説明がつけやすい。海外相手の実務経験は無いけど英語の基礎はあるから伸びそうだとか、逆に仕事ができなくてもTOEICを基準にして選んでおけば周囲に言い訳ができる。

 

数年間の国内での実務経験と、それなりのTOEICの点数を持った人材として海外マーケティング業務にあたることになったが、当然何も力になれなかった。

上司は帰国子女、その上は海外MBAホルダー、周りは駐在経験者がゴロゴロ。そんな中にTOEICを勉強しただけの自分。まったく世界が違った。

 

半年くらいで見よう見まねで資料作成はできるようになったが、圧倒的な能力の差が出たのは発話力だった。

TOEICにはスピーキングの試験がなかったから当然といえば当然の結果。欧米の支社とテレビ会議をしても、用意したプレゼンを読むことはできても質疑がまったく成り立たない日々。性格の悪い帰国子女上司には散々コケにされ、いい年して会議室で泣いたことがある。

 

この頃TOEICの点数は740点だったが、それ以上数字を追うことは止めて、瞬間英作文や音読といった発話や思考のトレーニングに切り替えた。

その成果でだんだんと話せるように・・・は、ならなかった。純ドメ社会人の英語習得はそんなに簡単ではない。

テレビ会議は録音して聞き返しながら議事録を作ったし、たった30分のテレビ会議の前にも数日かけて想定質疑を用意したし、初の海外出張では英語が通じなさすぎて緊張とストレスと自己嫌悪でホテルに帰って泣いたりした。

 

その頃同期は国内営業として独り立ちしはじめ、営業本部長の表彰を受けたり後輩の育成をしている中、英語力が全く伸びず仕事のスピードが5分の1くらいになった自分の姿は相当にみじめだった。

あこがれていた海外業務に楽しさは見出せなかったけれど、ここで止めたら元も子もないと考え、自尊心を満たすために2回目の大学講座に通った。あえて実力より少し下のクラスに申込むことで、意図的に「周囲よりも英語がしゃべれる自分」を創り出した。

 

この作戦の効果は抜群で、日々帰国子女上司にずたずたにされたプライドが毎週回復していった。TOEIC600~700点台の受講生仲間の中ではダントツにしゃべれたし、グループ授業の特性上先生も発言の機会が多い生徒にはフィードバックもしやすいので、費用対効果はやはり高かった。

大学講座で力がついたかどうかは疑問だが、いつの間にか少しだけ英語ができるようになっていたことを自覚することができた。それはMBAや駐在帰りやネイティブスピーカーに囲まれていては気づかなかったことであり、いったん自信がつくとテレビ会議でも堂々と話すことができるようになる。

 

英語を話す人には分かってもらえると思うが、この堂々と話すというのは非常に大事でありながら日本人が最も不得意とすることでもある。発音が悪かろうが、堂々と話さないことには提案も通るわけはないし、そもそも相手もまともに聞いてはくれない。

ちょっとした自信のおかげで仕事が進みだし、複数回の海外出張も経験し、すこしだけまともに仕事ができるようになったのが2014年。海外の仕事を夢見てから7年が経っていた。

 

アメリカ駐在とサバイバルの日々

そんな折、たまたまポストに空きが出て急にアメリカ駐在が内定した。企業の中での異動や駐在は運の要素が強いので、なんで選ばれたかは深くは分析しない。8割がた運だったと思う。

ラッキーだろうがなんだろうが、虚勢を張って目指し続けてきた海外駐在が決まったときは嬉しかった。当時上の子が生まれたばかりで、1歳にも満たない子を連れての渡米は大変だったけれどとにかく刺激が多かった。刺激しかなかったといっても良い。

 

アメリカでの生活のことを書き出すとそれだけで何記事も書けるので、英語だけに絞って言うと、案の定自分の英語は使い物にならなかった。

日本で担当していた製品のことだけはそこそこまともに会話ができたけれど、それ以外の分野や、私生活についてはとにかくスピードが足りなかった。

 

メールのやり取りなら成立するし、相手の言っていることもそれなりに理解できるけれど、その場で口から英語が出てこない。結果、大変寡黙な日本人駐在員ができあがる。するとアメリカ人同僚も「こいつは話が分かっていないから発言できないのでは」と気を遣い、会議のために他の分野の駐在員を通訳として呼んでくれた。優しさに感謝するとともに、自分のふがいなさにかなり落ち込んだ。

この頃は通勤の車中でDuo3.0のCDを流しながら発話の練習に戻った。瞬発力を鍛えるためにシャドーイングを繰り返し、大声を出せる車通勤に感謝した。

 

他に効果があったのはユーザー訪問だった。マーケティング駐在員として現地のユーザーの声をダイレクトに聞けるのは仕事上の強みにもなったし、一日中お客さんやセールスと英語漬けになるのは強制的に耳と口を慣れさせるのにうってつけだった。

これが成り立つのは、発音が怪しい異国人に対してもオープンなアメリカ人の気質があったからこそだと思う。たとえ英語力が足りなくても相手に役立つ情報を提供するように心がけ、製品の改良要望や将来要求の拾い上げは丁寧に行い、日本語訛りは改善しなかったけれど駐在3年目にはヒアリングやディスカッションが成り立つようになった。

 

生活の面でも実戦で英語を身につけていった。アメリカでは普通に暮らしたいだけなのに日本では考えられないトラブルが頻発するので、対応がそのまま生きた英語習得になる。会計を間違えられたときにうまく言い返せず返金がうまくいかなかったり、飲んでいないバーの請求をホテルで付けられたり、車や家が壊れて修理をお願いしたり、子供が病気になるたびに、使える表現を学び、語彙は増えていった。

そして2018年、1人増えた4人家族で日本へ帰国。

英語力が落ちてしまう前にと受験した2018年9月9日のTOEICで、955点を記録した。

 

異動・駐在とTOEICスコアの推移

もう一度振り返ると、主なイベントとTOEICスコアの関係は以下のグラフのようになる。

トーイックのスコア,点数を表したグラフ,11年で955点

異動や駐在などのイベントとTOEIC点数の推移

最後の3年間の伸びは駐在なくしてはなし得なかったし、それには社内の配置転換という運の要素も多分にあった。だけど、そのチャンスを引き寄せたのは当時の740点という「錯覚資産」だった。

 

TOEIC900点オーバーするのに10年もかかるのは遅いほうだと思う。Twitterを覗けば1年以下で達成してしまう超人もいる。

けれど、凡人のスピードでも、働きながらでも、子供ができても、続ければ英語力は身につくということを伝えたく、自身の反省と英語の記録を綴った。超人と比較して自己嫌悪したり勝手にあきらめたりしない勇気を与えられたらと思う。

 

言葉にすれば短い10年という期間、モチベーションを保つのは難しい。スクールを活用して自分の機嫌をとったり、英語の職場に異動して必要に迫られる環境を作るという方法論がどこかの誰かの役に立てば嬉しい。

ただ、学習方法は人それぞれ、千差万別。こうした学習履歴をたどった日本人がいるんだな、くらいで記憶の隅に残ればそれで十分この記事の目的を達成していると思う。

 

終わりに

この10年の結果をTweetしたところ多くの方から褒めていただき、本当に嬉しかった。大学講座の例と同様にひとつの自信になった。いまだにバリバリの日本訛りな上、雑談にはついていけないこともしばしばあるが、いまなら胸を張って「英語を話せる」と言いたい。

 

英語をトレーニングと捉え、継続するための基本的な心構えについてはこちらの記事へ。テレビを消し、お酒を控え、三日坊主を許すことが肝要。

10年かかってTOEIC955点を達成した社会人の英語学習法
2018年9月9日に受験したTOEICでついに900点の大台を超え955点のスコアを獲得しました。学生時代まわりより少し遅く海外に目覚め、足掛け10年以上かかって30代でようやく英語がある程度モノになりました。 この10年を振り返り、...

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